──丸山工務店の二代目とお聞きしました。
はい。昭和29年に先代が新木場で会社を設立し、間もなく世田谷に移転してから60有余年、当社はこの地でずっと工務店を営んでいます。丸山家のルーツを遡ってみると、江戸時代から新潟県三条で材木問屋を営んでいたようです。そのDNAなのか、私も自然と建築に興味を持つようになり、大学は建築学部に進みました。
──建築学部では何を専攻されたのですか?
数学が得意だったこともあり、構造設計を専攻しました(建築の設計には、建物をデザインする意匠設計、設備をデザインする設備設計もある)。構造設計では構造計算が重要で、いつも数字を扱うところが自分に向いていると思ったのです。私の研究テーマはコンクリートで、どうすれば強いコンクリートをつくれるか、さまざまな試験体をつくっては壊すという実験を繰り返しました。その結果わかったのが、単に鉄筋を増やせば強度が増すというのは誤りで(かえって付着破壊が起きやすい)、コンクリート自体の強度を高める必要があるということでした。この頃、将来は構造の専門家になると決めていました。
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──大学卒業後はどうされたのでしょう?
運もよかったのだと思いますが、名門と言われる構造設計事務所に入ることができました。それから実践で経験を積むかたわら、ひたすら勉強する日々が続きました。3年ほど経ったある日のこと、丸山工務店の専務が病気で倒れてしまい、会社を手伝ってくれないかと父に頼まれたのです。所長には、あと少しで一人前になれると言われましたが、気持ちを切り替え、丸山工務店に入る道を選びました。
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100年住める家をつくるポイントは基礎と骨組み
──その後、二代目として会社の舵取りを任されることになる……
はい。当社は公共工事も手がけていますが、主力はやはり木造住宅なんです。そこで、時代が求める住まいとは何か、私たちが理想とする住まいとは何かを、あらためて考えてみることにしました。そこから生まれたのが、「ひ孫の代まで100年住み続けられる家づくり」というコンセプトです。そして、どうしたら100年住み続けられる家をつくることができるかを、丸山工務店の10カ条としてまとめました。そこには、基礎はコンクリート強度を上げてつくること、構造材は骨太の国産材を使うことなどが明記されています。
──構造設計を学ばれた知識と経験が生かされているようですね。
そうなんです。新築・リフォームを問わず、当社では早くから耐震診断に力を入れてきました(丸山工務店では社員の多くが東京都や世田谷区が認定する耐震診断士の資格を有する)。国が推奨する長期優良住宅認定基準である耐震等級2、さらには耐震等級3を求める人も増えており、この場合は木造でも構造計算が必要になってきます。私自身、数多くの耐震診断を通して気づかされたのは、基礎の重要性でした。そこで、当社の基礎は独自の仕様を定めています。まず、基礎の厚さを通常より3センチ厚くしています。これは酸性雨によって中性化(腐食)する分を余分にとっているのです。また、コンクリートは一体打ちにせず、あえて打ち継ぎしています。これはバイブレーターでしっかり振動させて空気をしっかり出し、コンクリート強度を高めるためです。さらに、塩分濃度が強い産地の砂は強度が落ちるので使いません。当社のコンクリートは叩くとコンコンではなくキンキンという音がします。これは強度がある証拠なんです。基礎の次に大切なのは柱や梁などの構造材です。当社では、紀州山長が育てた優良木材(4寸の檜)をおすすめしています。
目指すのは、地域に根ざし地域に愛される職人集団
──丸山工務店の大工さんはみな社員だと聞きました……
今日ではめずらしいスタイルかもしれませんが、これも当社のこだわりです。安定した生活があるからこそ、安心して腕を振るうことができると思っていますし、職人同士が互いに切磋琢磨しながら(月に一度全社員が集まって勉強会を開いている)、誰もが棟梁を目指す心構えで仕事に取り組んでいます。 |
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──地域との繋がりも大切にされているようですね。
はい。長年この地で工務店を営んでいますので、地域の皆さんとのふれあいを大切に、地域の祭りやイベントなどにも積極的に参加しています。地域密着型の工務店として、地域に根ざし地域に愛される職人集団であり続けたいと思っています。 |
──これからのビジョンをお聞かせください。
当社では、頑丈な基礎と骨組みをベースに100年住み続けることのできる家づくりを追求していますが、同時に、多様化するライフスタイルやデザインへの強いこだわり、最新の省エネ性能など、新しい時代のニーズにも柔軟に対応しています。家づくりのどんなご要望も遠慮なくお聞かせください。 |
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